HOME > ゴエミ日記

ゴエミ日記

札幌レポート

さむいっ!
じゃなくて、痛いっ!
札幌の寒さはそんな表現がぴったりでした。

氷点下以下の街中を歩くと、
空気に触れる、手や顔が痛みを感じるほど寒かったのです。

すみません。
北海道の寒さナメてました。
北陸・金沢の寒さとは全く質が違いました。

札幌を訪れるのは約10年ぶり。
前回は、富良野や函館など
その他の北海道を満喫しましたが、
今回は、駅周辺のみ。
それでも、札幌の空気をずいぶん味わえました。

松山レポートでも書きましたが、
その土地どちに行くと、
そこのリズムみたいなものを感じます。
北海道は、とても落ち着いた、
どこか本州とは違うどっしりとした空気感を感じました。

そして、政治、経済、それらに対する空気感が
どことなく、本州と違うようにも思えたのです。

なんとなくですが、
もちろん、全ての人ではありませんが、

中央集権・経済への冷めた、意識。

そういったものを感じました。

「国なんて当てにならないから、

自分たちでやっちゃおう。」

そいういった意識が、

人々の無意識の海の中にあるように感じたのです。。。

ゴエミが今回の旅で、

新たに自分の中に自分の中に芽生えた疑問があります。

「日本」ってなんだろう?

あたりまえのように、

北は北海道から南は沖縄までの

47都道府県が日本で、

それらは、すべて共通で並列化されているという

感覚でいました。

しかし、この1カ月で色んな地域に行くと、

それが、まったくもって井の中の蛙意識だったことに気がつきました。

『日本』という共同幻想によって、

人々は毎日を暮らしていて、

その幻想はいつ壊れてもおかしくない。

そんな変な感覚に陥りました。

そして、

「もっとこの国のことを知りたい。」

そう強く思いました。

実は日本のことを何も知らなかった自分に

驚きの今日この頃です。

福岡レポート

福岡(博多)レポート

広島から新幹線に乗って博多に入りました。

博多はとても都会なのですが、
何らかのタイミングがあれば、
気軽に会話が始まる。
困っていたら、さっと手を差し伸べてくれる。

都会のスタイリッシュさと
地方の温かさを併せ持つ街。
そんなイメージがあります。

博多では、
今回の旅で唯一!
ご当地グルメを食べました。

The 博多ラーメンです。

他の土地ではとにかく時間がないので、
コンビニのおにぎりとか、
駅の売店でサンドイッチとかを買って、
移動しながらいただくか、
ホテルで仕事をしながらほおばるかの日々。。。

だから、博多で食べた、
博多らーめんは、
今思い出しても、ヨダレが出るほど、
おいしかったです。

タクシーに乗って、
運転手さんに
「おすすめのラーメン屋さんに連れて行ってください!」
と言うと、
「よっしゃっ!」
とばかりに連れて行ってくれました。

そして、着いた先は…
なんと!2年ほど前にも
地元の知人に連れてきてもらった
お店と同じでした。

やっぱり、地元の方がおいしいと思うお店は
一緒なんですね。

そこで、思いました!
地元の方が自信を持って、おいしい!と
県外の人を連れていけるお店。
これって、飲食店にとって、
とてもうれしいことなのだと。

旅先でいただいた、おいしい食べ物って
とても思い出になりますよね。
そして、また同じ地を訪れた時に、
再びそこに行きたくなる。

つまりは、人の記憶に残るお店になる。
これってとても素敵なことだと思います。

ただ、
日ごろよく行くお店 = 県外の知人を連れていきたいお店

でもないのですよね。
飲食店って本当に難しいです。

ゴエミの旦那も飲食店経営者です。
メキシコ料理のお店を経営しています。
メキシコ人ではありませんが、
見た目は、メキシコ人みたいな日本人です。

http://www.nazcaline.jp

福岡で、こんなことに気がついたんだよと、
帰ったら教えてあげようと思います。^^

ヒロシマ

ゴエミの母の実家は山口県岩国市です。
広島とはとても距離が近いです。

なので、ゴエミの祖母は、
原子爆弾が落ちた時、きのこ雲を見ています。

後からそれが、原子爆弾だと知って、
そして、その影響を知って、自分の子供や孫である私に
原爆後遺症が出ることをとても恐れていたそうです。

私は、母や祖母から聞く原爆の話や
昔見た「はだしのゲン」が怖くて怖くて、
母の故郷から近い広島の、原爆ドームや
祈念公園には行ったことがありませんでした。

でも昨年、友人の結婚式で行った長崎で、
日本人としてやはり、避けてはいけないような気がして、
初めて、原爆が投下された0地や祈念公園、そして原爆資料館に行きました。
その時はとにかく、涙をがまんするのに必死だったことを覚えています。

そして今回、縁あって広島に行くことになりました。
そして、初めて原爆ドームや原爆祈念公園、資料館に
滞在している2日間、続けて行きました。

テレビやWEBからは、たくさん情報が入ってくるけれども。
やっぱり、現地に行かないと知らないことがだらけです。

日本人をはじめ欧米の人。アジアの人。様々な国の人と
子どもたちから、お年寄りまで色んな人が
70年前の『真実』に見入ってました。

そして、改めて思いました。
戦争や争いなんて、一番カッコ悪くて、ダサいことだと。

経済が停滞すると戦争を起こして、
リセット&経済活性されてきたなどと言われますが、
その手法はもはや化石化していると
気づかなければならないと感じました。

原爆から、たった70年後に日本人はまた、
放射能の問題を抱えています。

今回の、福島原発問題で日本には各地に
原爆と同じものをかかえているということが、顕著になりました。
何故今までそのことに気がつかなかったのか、本当に不思議です。
地震時だけでなく、もしテロなどで攻撃されたら、と思うと
考えたくもありません。

未来の子どもたちはきっと言うでしょう。
「なぜ、あの時の大人は当たり前の行動をしてくれなかったの?」と。

しかし、このことを話題にすると、
「空気を読まない人」みたいにタブー視されます。
それも、何かコントロールされているようで、
ちょっと気持ちが悪いなあといつも思います。
見えないオバケにみんながおびえているようで。

広島の人たちとのお酒の席。
ノリがよくって、ワァー!と盛り上がる中、
70年前の話が出ると、やはり皆、顔が引き締まります。

広島の人は70年前の事実を深く胸に刻みながら、
今を生きているというのをとても感じました。

松山レポート

瀬戸大橋を渡って、四国に入りました。

初めての四国。
天気は薄曇り。
景色は少し霞がかかってみえました。

列車の中、左手には時折、
柑橘系の果物畑が急な斜面に見えました。

右手には時折、瀬戸内海と島々が。

「豊かな国だなあ。」

ふと、そう感じました。

行く先々でその土地のリズムのようなものがあるように感じるのですが、
四国はとにかくMELLOWでとってもリラックスできました。

初めての四国だったので、
色々と調べてみると神話や伝説が残っているのですね。
同じ日本の中でも、知らないことばかりです。

目的地は松山。

松山の人はとにかく、優しくて、明るい。
とっても柔らかい方が多かったです。

そして、人のため、子どもたちのためについて、
真剣に考え、それを仕事に結び付けようとしている人と
たくさん出会うことが出来ました。

利他の精神というのでしょうか。

そして、地元のことをとても愛している人が多かったです。

乗ったタクシーの運転手さんも色々と教えてくださいました。
四国でも何年か前に大きな地震があったこと。
その時に築100年の老舗旅館の建物は大丈夫で、
鉄筋コンクリートよりも強かったこと。
昔の職人さんはすごい!と言っていました。
日本は地震が多いから、昔の人はそれを分かって、
素晴らしい技術を持っている。
それを引き継ぐべきだけれども、
実際は中々難しい状況。
非常にもったいないと言っておられました。

そして、四国とは遠く離れている
被災地のことをとてもとても想っておられました。

松山から次の土地の広島に向かうときは
フェリーを使いました。

フェリーの窓からは
深いエメラルド色の海の合間に
大小の島々が見えて、
平清盛もこの景色を見ていたのかと思うと、
(旬なNHK大河ドラマの主人公ですね。)
不思議な感覚に陥りました。

またひとつ、日本の素晴らしい一面を知る旅となりました。

杜の都 仙台

初めてきた仙台は、

想像していた以上に都会的な町でした。

商店街には活気があふれ、

人がたくさん行きかっています。

日中、多賀城から塩釜、

そして、荒浜地区に伺いました。

2011年3月11日の東日本大震災からもうすぐ一年。

その爪跡はまだまだ色濃く残っています。

でも、会った宮城(仙台)・福島・山形の方は、

前を向いて、力強く情熱を持って生きている。

たくさんのお話をうかがって、

人って本当にすばらしいなと、

胸がジンと熱く、締め付けられるような気がしました。

福島県の阿部さんからは、

水力発電構想のお話を聞きました。

風の谷のナウシカならぬ、『水の谷』構想。

水の国、日本で、水と共に暮らす。

水力で電力を賄って、電気代がかからない集落。

そこでは、美しい水でお米を作り、

水車のメンテナンスなどで、

高齢者の雇用も創出する。

とっても魅力的な構想でした。

同じく福島県の佐藤さんからは、

原発問題の影響などについてお話を伺いました。

やはり、深刻なのは風評被害。

農作物意外にも、加工品など、

様々なものが出荷停止になっているそうです。

しかも、検査結果などの根拠がなくても。

さらに、津波被害にあった場所では、

いまだに再建計画がまとまらず、

家をたてたくても建てられない、

会社を再開したくても再開できない。

そんな状態が続いているということでした。

仙台の松村さん、石川さんからは、

震災にあった地元の方たちは、

何かしていただくばかりではなく、

何かしたいと思っている人も多い。

というお話を聞きました。

仙台でも、たくさんの出会いがあり、

たくさんの学びがあり、

たくさんの勘違いに気づき、

たくさんの感動がありました。

仙台の街を案内してくださった、

タクシーの運転手さんをはじめ、皆さん、

お話するのが辛い内容もあったことと思います。

でも、たくさん教えてくださって、

本当にありがとうございました。

またいつか会えるときまで。